藤井廉、まとめ
後夜祭から24時間が経っても抜けない余韻、ずっと一曲リピートされるシルエット、役目を終えて押入れに仕舞われたキーボード、染めたところがやっとほんのり赤くなってきた自分の髪、解散の危機のライブの時に擦れてできた痣、泣いて腫れたまぶた、解散の危機のCD、後輩や同輩からのLINE…
一年の時に一番人口が少ないキーボードを選択して、同時期にバンドに入れずにいたちゃんみおと組んで、後からじゃくりんの紹介で伶さんが来て、夏休みになってすーさんといつの間にか一緒に練習するようになっていて、10月になって、かるわが入ってきて。ミニチュアが解散して、持て余していたしんちゃんと組もうって話になって、りょうたと俺が入って、誠也が来て、放浪機構を結成して。
二年からオリジナルを作ろうってなって、初めて作ったのは「急行」。ちゃんみおの歌詞に載せて作った曲、悩みながら作った。そして、「Goodbye,Sally」。この曲がハイライトのイメージを形作っていって、「逆光」、「極夜」、「おやすみ、また明日」、そして「再点灯」に繋がっていった。放浪は「Help」、「ジレンマにて」、「N」をやれた。どちらも違うイメージで、どちらも良かったのだけど、メンバーはいい曲だと思ってなかっただとか、色々あった。
二年の12月くらいに「もう外部はやめよっか」という話になり、そこから自分のモチベが下がっていったのは確かだった。
その時期から8月が終わるまで、ずっと気が滅入っていた。いろんな要因がある。ADHDとか、仕事とか。自分の身の丈に合ってるのか?勉強は?皆とまともに会話できなくて、しばらくベンチには近寄れなかった。
後夜祭の練習があるから、9月4日になってやっと学校に行った。りょうたがあの時言っていた「練習がなかったら来てない」は間違いじゃなかった。あのまま休んで、中退しようかと親に相談していたくらいには。
それを吹き飛ばしてくれたくらいにはフリミって存在が大きくて、楽しいものだったことを思い出して!そこからは人生最速の日々でした。後夜祭なんて一瞬だった。
その一瞬に三年間を捧げたことを幸せに思います!
りょうたと誠也、本当にお疲れ様。ハイライト、CD遅くなってごめんなさい。放浪も、文化祭に出来なくて悔しかった!でも皆楽しそうでよかった。
「再び照らされるまで それまではさよなら」-再点灯