今夜、暇を取らせていただきます

文化的ニート(令和版)

ある質問の回答

 ◇【最初に】◇

 質問主さん、こんなかたちで返答してしまって申し訳ないです。他に良い媒体が思いつきませんでした。あとめっちゃ読みにくいです。そんなこんなですが、ぜひ読んでください。

 質問ありがとうございました!

 

 ◇【こんにちは、質問ありがとうございます。廉です。】◇

 「幸せ」って何だ?というのは、僕が高校三年間でめちゃくちゃ悩まされたやつです。分かります。進路を考えるとき、「どうなったら、自分は一番幸せになれるんだろう?」と考えますよね。
 僕はそれを三年間かけて悩みました。もちろん、答えは出なかったので、また考え続けることになりますが。なので、この内容もまとまっていません。全部読んだら、「ああ、なんとなく分かる」程度のものです。答えは自分で見つけてください。

 その答えを見つけるまでのお手伝いは、この質問後でも尽力します。頼ってくださいね。新しいtwitterの匿名アカウントで俺にDM投げてきてもいいですよ。真摯に答えます。
 これを読んで、どう思ったか教えてください(もちろん強制はしません)。「幸せ」になりましょう。

 質問内容を出さないでくれ、ということなので、内容は出さずに、ただ僕の話を書きます。僕が一番得意の、自分語りです。どうぞ(このブログ史上一番長いです)。

 

 ◇【予防線の話】◇
 僕は、小説家になります。何年かかっても、なり抜きます。僕はそれが人生の中で稀に起こる幸せなのだと、現時点までずっと信じているからです。
 しかし、何十年も執筆しても、それでも商業出版できないという話はよくあります。

「自分がそうなったらどうしよう」「そうならなかったとしても、自分の小説がぜんぜん売れず、生活ができなくなったらどうしよう」という漠然の不安は、絶えず自分の中にあるんですね。
 だから、僕は進学校に行き、それなりに大学に行き、就職して、兼業作家として生きようという、一応のプランは立てています(そのプランが達成できるかは別として)。要するに、「最低限の幸せ」=「生活」に「予防線」を立てようとしているんです。まあ、夏に退学しようかマジで考えましたが。笑 
 (一応述べますが、僕は「進学校は属するものじゃなくて、利用していくもの」という考えです)

 僕は「予防線」という言葉がすごく好きです。安心させてくれる存在で、その線が切れない限りの範囲で、自分は何をしても大体は大丈夫。
 ずっとそれに縋っていたいという心持ちもありつつ、いつかそんな「予防線」を切らなきゃいけない日が、いつか誰の元にも降り掛かって来ることも理解しています。
 誰だって、その瞬間には覚悟を決めて、自分の後悔や残したものに無理に見ないようにして、この道でよかったんだと、自分を正当化するものです。それは悪いことではありません。
 その日は、人によって、大学進学であったり、就職であったりするのです。その先の道は、自分が行動する限り、自ずと見えてくると思います。
 そんなに怖がらないでください、大丈夫です。自分がより幸せでいられるために、バンバン「予防線」を切っていってください。僕もそうします。
 

 ◇【学歴の話】◇
 文面を読むと、相当心配なさってそうなので、あなたは一般的に「茨の道」と言われるような進路に向かうのかも。または、自分の当初進む予定だった道がもう閉ざされてかけていて、別の道に進まざるを得ない状況なのかも。もしくは(くどい)、自分の進みたい道がいわゆる「学歴」に結びつかない、というところかも。そうでもなく(くどい)、自分の進路が適性と離れているのかも。

 学歴について、まず言います。大丈夫です。なくても、幸せになれます。
 学歴と幸せって結びつくのか、と言われれば、答えは「どちらともいえない」でしょう。そりゃあ、結びつく方も多くいることでしょうが、そうでない方もたくさんいます。俺の父も母も、極めて優れている学歴を持ち合わせているわけではないですが、すごく幸せだと言っています。無いに越したことはないかもしれませんが(予防線を張りたければ)。あくまで、学歴は評価の一項目にすぎません。
 高学歴があっても上手く働けないという人も多いです。なぜなら、勉強の適性と就業の適性なんてまるっきり違うからです。自分の強みを上手く使えること、それが適性です。自分の適性ってなんだろう?と探るために、いろいろやってみましょう。もちろん、僕もやります。
 大学は学びたいことを学ぶ場所。その軸がブレなければ、自分がどんな大学に行っていたとしても、ちゃんと自分のプロセスを他人は評価してくれます。


◇【世間体の話】◇
 で、世間体の問題ですよね。
 僕は極めて空気を読めない人間なので、世間体のことをあまり気にしたことはないです。空気を読もうとすることも、必要もないので…(これを良いとは言えません)。
 例えば、仲間内で、自分だけ偏差値の高い大学に行けなかったとしましょう。僕の意見なので鵜呑みにしないでほしいのですが、それで蔑んできたり、嘲るような奴とあなたは関わる必要はありません。それまでの努力してきた過程(ここでなら勉強)を馬鹿にする奴のために、人生の限られた時間を割かないでほしいです。
 どうしても、その蔑みを無視できない状況下に身を置かなければならないのなら、その世界(コミュニティー)のみに自分を所属させないことです。その3倍、4倍の数の楽しくいられる状況に身を置くと良いと思います。家族、友達、ネット、なんでも良いです。世界は広いこと、それを忘れなければ、いくらでも生きていけます。ただ、その行動力(というか、仲良くなれそうな人に交流を求めるコミュ力)は、あると非常に良いと思います。あなたがもし高校生で(さらに北園生であるならば)、その点については大丈夫でしょう。
 「世間」を一つに絞らないでください。自分と他人を比較するのは良いことですが、自分を卑下する必要はありません。「世間体」を増やしていくと、自分を理解してくれる人が多くなるので、幸せになります。体験談です。
 気に入った世界に入り浸りましょう。それでいいんです。たくさん吟味した上で、その場所が気に入らないのなら、逃げちゃいましょう。


◇【まとまってないまとめ、質問の回答】◇
 一生懸命書いたら3時になってました。長くなってしまってすみません。読むのも、現文の練習だと思ってください。

 これは別に「第二の道でも幸せになれるよ!」という意味では書いていません。第一の道を逃せば、やっぱり辛いし、悔しいと思います。

 それでも、あなたが書いていたように、10年後に幸せになっているかどうかなんて、こんなところでは決まりません。10年なめんなって感じです。自分の年齢から10引いてください。めっかわの年になります。10足してください。婚期の心配してるかもしれないんですよ。
 なんでもかんでもポジティブに捉えるのは良いとは言えませんし、そこはなんとも言えないところですが、これだけは後悔せずにやってほしいです。
 未来に対して、自分の今「できること」と「やりたいこと」をすることです。
 「できること」は交友関係広くするとか、なんでも良いです。もちろん、高学歴獲得のために勉強する、でも全然いいです。未来に向けて今できることを懸命にやってみてください。
 「やりたいこと」は、今の自分がやりたいことをやりましょう。未来のことなんて、ここでは考えなくていいと思います。
 その双方が噛み合ったものは、相乗効果でめちゃくちゃはかどります。

 

 さて、話はだいぶ逸れましたが。
 おっしゃるとおり、幸せって、考えれば考えるほど難しいです。でも、幸せを感じるっていう行為自体はすごく単純ですよね。好きな人、物、場所があるだけで、幸せになる。
 幸せになるって、そういうことなんだと僕は思います。
 自分が今好きな人、物、場所をただただ追っかける、それが幸せである、と。そのためにいつか覚悟を決めなければいけない瞬間があり、その瞬間のために少しずつ準備していたものは功を奏します。
 今やっていることは自分が幸せになるための過程なのだと、確信を持ってくれるといいなと思います。不安というのも、それで取り除けるものだと思います。

 あと少しですが、身体が障らないように、ご自愛下さいね。

 

 言いたいことがまとまりませんでした。ごめんなさい。
 お返事待ってます(できれば、マジでできれば、無理はしないでください)。自分の「幸せ」が多分あなたとは違う考えだと思うので。