今夜、暇を取らせていただきます

文化的ニート(令和版)

さびしさの根源を知れ

 最近、小説と詩が書けなくなった。
 これだという原因は未だに見つけられないまま、大分に在住してから二ヶ月になろうとしている。
 確証はないけど、多分これだろうなあと思うのが、「さびしさの消滅」だと思う。

 東京砂漠って言葉を使って東京を表現する人は、相当な寂しがり屋であるのは間違いないんだけど、その人たちはその言葉自体にもある一定の依存をしていると思っている。東京砂漠という言葉を使うことで、「俺らは生きづらいところに住んでるんだからこう思うのも仕方ないだろ」という主張をしているんだよな。

 僕は東京に住んでいたとき、それに似たような「さびしさ」を原動力にしていろいろ書いていたんだけど、その原動力を使う権限を物理的に剥奪された今、マジで創作の原動力がなさすぎる。ってのいうのが、現状分析。

 今やってることは、「さびしさの消滅」以前に聞いていた曲を聞きまくったり、書いた詩とか詞とか小説とかを読みまくってる。でも多分正攻法じゃないし、限界が近い。過去のことを思い出して書こうとしても、精神面がズタボロになるだけかもしれない。難しいね。

 自分がやらなきゃいけないことはやっぱり、新しい原動力探し。これしかない。

 本当に何でも良い。同じような孤独感やらさびしさやらでもいいし、暖かさの方に触れても良いかもしれない。またいっぱい考えることになりそう。辛いなあ。楽しいけど。

 自分でも予期しないことが起こりそうな予感というのは、老齢になればなるほど衰えるらしいので、今のうちに味を噛み締めておく。美味すぎるんだよな。