今夜、暇を取らせていただきます

文化的ニート(令和版)

あけましたのご報告

 新年、あけましておめでとうございます。本年もどうぞ、よろしくおねがいします。

 正月返上でプロットを書き、センターの現文を解いている僕ですが、なんとかこれを書く余力だけはありそうです。冬休み、本当に忙しい。

 去年は本当にたくさんの人と話して、ひたすらに楽しかったですね。楽しくないシーズンはあんまりなかったなあ、と思い返しています。

 まあ受験生として、みたいなところでは落第点ですけど、18歳としてはよく動けたかなと自分を褒めようと思います。

 今年の抱負とか、目標とか、そういう格式ばったものは無いんですけど、とにかく自分のやるべきものを磨いていこうと思います。たくさん行動していきたいですね。頑張ります。あと習字を習おうか、と密かに思っていたり。

 行動を出した先に結果が出れば結果オーライ、出なければ、それもまたそれで。

 流動的に動いていきます廉に、今年もどうかご鞭撻の方をよろしくお願いします。この時期は風邪を引きやすいので、くれぐれもご自愛くださいね。

 

ADHDの話

 登下校中に喋りかけてくれる人が多くて、「うわ…めっちゃ嬉しい…」ってなるんだけど、大体イヤホンガンガンなので、最初全く声をかけてくれた人に気付けないため、大体めっちゃ笑われる。ちなみに最近ヘビロテしているのはOfficial髭男diismの「Stand By You」。良いよね、ってそんな話じゃなくて、そのイヤホンガンガンには訳があります。分かって欲しいとは思ってないけど、一応こんな性格なんだなあ、ってのを頭の片隅に置いてもらったら誤解されることも少なくなると思って、これを書きます。

 

 僕は8月になって、自分が軽いADHDであることが判明しました。ADHDとは、と語るとめっちゃ長くなるのでここでは省きますが、適切なコミュニケーションをするための能力が欠けていたり、自分の身の回りのことが上手く管理できなくなったりする症状を持つ、ある種の知的障害あると考えてもらえればいいです。

 

 正直、高校生活上での弊害が凄く色濃く出る。三年ぐらい前から「君はいろいろ知的障害を持っている可能性がある」って言われていたので、診断結果を見たところで目新しさといったものは無かったけれど、症状の名前が確定してからは、ちゃんと対策しなきゃなっていう風に感じるようになって、最近は、昼休みには友達と喋らないっていう選択を取っています。話の論点をよくズラしてしまう性格なんです…(既存の関係が成り立っている空間に割り込んで、気兼ねしてもらうのも凄く悪いので…)

 弊害として、昔からなんですけど、地下鉄に乗ることが凄く苦手です。特に冬の時期は。寒いのか暑いのかよく分からなくする湿気と、ずっと薄暗い空間、誰と知らない人とぶつかること、全部苦手なんです。その中でも特に苦手なのが、身の周りの音です。電車の開閉音、喋り声、電車内アナウンスが主ですが、それを遮断するために滅茶苦茶大きい音で洋楽とか邦楽とか聞いてます。歌詞が入りやすいQueenとか、Bruno Marsとか。

 よく「治療薬は使わないの?」っていう質問をされます。親にも言われましたが。理由を端的に言うと、ADHDに有効だとされている治療薬が覚醒剤とすごく成分が似ているらしく、あんまり使うのもアレかなあ、と医者と相談した結果です。足りない頭で行った自己理解です。

 

 ADHDが最近話題に上がってますが、周りの人の配慮が大事だやら、「理解のある夫のおかげで…」やらネットに溢れていますが、自分とは異なった認識なので、自分の意見を言っておきます。

 周りの人にやってほしいこと、それは「またやってるよ(笑)、おい兄弟、そこちょっとミスしているぜ」ぐらいのアメリカン的な感覚で扱ってほしい!ってことです。(個人の意見です)

 Twitterでよく見るADHDの人が求めている「対応」というのは、正直自己中心的思考の極みです。社会はそこまで優しくできない。それほど余裕なんて無いのだから。でも、対応なんていらなくて、ただちょっと会話して欲しい、そのくらいにしか求めていないんです。過剰に支援を求める人の話はあまり聞かないほうが良いかもしれない…笑

 ここまで読んでくれた方なら、適切なんてのを理解してくれたと思いますが、僕もこういった形で言わなければ皆が分からない、その程度には普通の人なんです。適度というか、普通に話してくれることを僕は望んでいますし、多分他の人も然りだと思うんです。

バット・ノット・フォー・ミー

 ジャズの名曲の一つ、「BUT NOT FOR ME」。曲名からして大人の雰囲気がムンムンなんだけれど、これを僕は5歳で歌っていて、周りの人から「おませちゃん」という謎の位置を確立していました。周りのおばちゃんたちの心は、幼少期の俺に、さぞワシ掴みされていたことでしょう。多分。

 今その曲の歌詞を見ると、「Although I can't dismiss the memory of his kiss」とか言ってるんですよね。イケメンやめろ。

 なんでこんな話をしているかというと、ある件の事情で幼少期の写真を探していたんですけど、Dropboxから色々出てきたのにもかかわらず、ある事情で僕の写真は二歳からしかなくて、幼少期の思い出はそこで制限されているなあ、って感じたんです。その写真上でしか自分の幼少期を語れないんだな、って悲しくなりました。

 僕の一歳までの写真を探さなきゃな。って今日ふと思い立って、そのためにはさっさと受験を終わらせなければな、って今は少し力んでいます。検討はついているけど、そうそう行ける場所じゃない。

 僕は十八歳にして、一つの大きな節目を迎えるようになる、ということで、今まで避けていた問題と向き合う必要がでてきたことが、今は一番辛い。それでも、自分以外の誰かが向き合ったら意味がない問題であって、僕を僕たらしめた人に、会いに行かなければならないなとはずっと思ってました。それが遅かれ早かれ。

 こんなおそらくこれを見る人には一切関係のないブログになってしまったけれど、人は誰しも自分なりのストーリーを持っていて、どこかが確実に大きな分岐点になっているということ、自分の場合がこれであったというだけです。

 廉って名前、実はめっちゃ好きなんですよ。

ペンギンの膵臓の横から見る形が叫びたがってるんだ。

 ブログを書いていると、度々タイトルを思いつかなくなる。小説は題名が命なんだけどね、最近小説すら書けないくらいには忙しい。

 昨日、早大プレ模試を受けてきた。もう受ける気がない大学で、国語以外は全く歯が立たずに撃沈した。

 受けてるとき、めっちゃ虚無だった。マジで。寝てたら隣の人からめっちゃ舌打ちされて、昼休みは隣の女の子がYoutubeの実況動画を見ながら「フフフ…フフッ…フッヒッ…」ってなってて、俺が何年かぶりに舌打ちしそうだった。自分を多少見失いながら、全くわからない日本史の問題の選択肢をイとウで埋め尽くした。今、受験勉強でもがいている人に言いたい。模試の休み時間中にYoutubeを見て、「フフフ…フフッ…フッヒッ…」って笑ってしまうような人でなければ、君はその人よりも良い人だ。大学なんて関係ない。人間性で勝ってりゃそれでいいのよ、坊や?

 んなことはどうでもいい。もう今週末に受験。無理すぎる。いっそ俺も試験の待ち時間にYoutubeの実況動画を見ながら「フフフ…フフッ…フッヒッ…」って笑ってやろうかな。絶対しないけど。それで受かったら、同じ部屋にいて合格した奴から入学後に色々言われそうだし、受からなくても、それはそれで「マジで何がしたかったんだろう」ってなりそう。

 小論文を練習しているんだけど、これに合格しないと面接をさせてくれないっていう厳しい試験。制限時間めっちゃ短いのが凄く気になる。やるだけやってやろうと思う。受かったら、「フフフ…フフッ…フッヒッ…」って言おう。テンドンが過ぎた。反省してるよ。

 毎日習慣になっていたある人のツイキャスがもうやられないということなので、その夜の時間をどうにか昇華できないものかと考えている。小説とゲーム以外、なんか面白いことないかな。いっそのこと投資とかやってみようかな、なんて思いながら、はとむぎさんのASMR聞いてる。脳が溶けている。URL貼ったけど、耳ゾワゾワするからお気をつけ。

 

youtu.be

 そういえばハロウィンらしい。でも俺が知ってるハロウィンってお菓子もらえるやつなんだ。仮想パーティーと題して、軽トラを倒す暴徒化テロリズムのことをハロウィンと呼んだ覚えがないので、違う国に来てしまったんだなあと、生茶を飲むことにした。決して渋谷なんかに行かないように。渋谷行ったとしても、ゴンチャ飲んでさっさと帰って、お気に入りの漫画でも読んでゆっくりしようね。皆も暴徒化テロリズムを俯瞰しながら、「フフフ…フフッ…フッヒッ…」って笑ってね。

 泣きの一回が決まったところで、棒々鶏を作るために、ここらで筆を置いておく。

藤井廉、まとめ

 後夜祭から24時間が経っても抜けない余韻、ずっと一曲リピートされるシルエット、役目を終えて押入れに仕舞われたキーボード、染めたところがやっとほんのり赤くなってきた自分の髪、解散の危機のライブの時に擦れてできた痣、泣いて腫れたまぶた、解散の危機のCD、後輩や同輩からのLINE…

 

 一年の時に一番人口が少ないキーボードを選択して、同時期にバンドに入れずにいたちゃんみおと組んで、後からじゃくりんの紹介で伶さんが来て、夏休みになってすーさんといつの間にか一緒に練習するようになっていて、10月になって、かるわが入ってきて。ミニチュアが解散して、持て余していたしんちゃんと組もうって話になって、りょうたと俺が入って、誠也が来て、放浪機構を結成して。

 二年からオリジナルを作ろうってなって、初めて作ったのは「急行」。ちゃんみおの歌詞に載せて作った曲、悩みながら作った。そして、「Goodbye,Sally」。この曲がハイライトのイメージを形作っていって、「逆光」、「極夜」、「おやすみ、また明日」、そして「再点灯」に繋がっていった。放浪は「Help」、「ジレンマにて」、「N」をやれた。どちらも違うイメージで、どちらも良かったのだけど、メンバーはいい曲だと思ってなかっただとか、色々あった。

 二年の12月くらいに「もう外部はやめよっか」という話になり、そこから自分のモチベが下がっていったのは確かだった。

 その時期から8月が終わるまで、ずっと気が滅入っていた。いろんな要因がある。ADHDとか、仕事とか。自分の身の丈に合ってるのか?勉強は?皆とまともに会話できなくて、しばらくベンチには近寄れなかった。

 後夜祭の練習があるから、9月4日になってやっと学校に行った。りょうたがあの時言っていた「練習がなかったら来てない」は間違いじゃなかった。あのまま休んで、中退しようかと親に相談していたくらいには。

 それを吹き飛ばしてくれたくらいにはフリミって存在が大きくて、楽しいものだったことを思い出して!そこからは人生最速の日々でした。後夜祭なんて一瞬だった。

 その一瞬に三年間を捧げたことを幸せに思います!

 りょうたと誠也、本当にお疲れ様。ハイライト、CD遅くなってごめんなさい。放浪も、文化祭に出来なくて悔しかった!でも皆楽しそうでよかった。

 「再び照らされるまで それまではさよなら」-再点灯