今夜、暇を取らせていただきます

文化的ニート(令和版)

さびしさの根源を知れ

 最近、小説と詩が書けなくなった。
 これだという原因は未だに見つけられないまま、大分に在住してから二ヶ月になろうとしている。
 確証はないけど、多分これだろうなあと思うのが、「さびしさの消滅」だと思う。

 東京砂漠って言葉を使って東京を表現する人は、相当な寂しがり屋であるのは間違いないんだけど、その人たちはその言葉自体にもある一定の依存をしていると思っている。東京砂漠という言葉を使うことで、「俺らは生きづらいところに住んでるんだからこう思うのも仕方ないだろ」という主張をしているんだよな。

 僕は東京に住んでいたとき、それに似たような「さびしさ」を原動力にしていろいろ書いていたんだけど、その原動力を使う権限を物理的に剥奪された今、マジで創作の原動力がなさすぎる。ってのいうのが、現状分析。

 今やってることは、「さびしさの消滅」以前に聞いていた曲を聞きまくったり、書いた詩とか詞とか小説とかを読みまくってる。でも多分正攻法じゃないし、限界が近い。過去のことを思い出して書こうとしても、精神面がズタボロになるだけかもしれない。難しいね。

 自分がやらなきゃいけないことはやっぱり、新しい原動力探し。これしかない。

 本当に何でも良い。同じような孤独感やらさびしさやらでもいいし、暖かさの方に触れても良いかもしれない。またいっぱい考えることになりそう。辛いなあ。楽しいけど。

 自分でも予期しないことが起こりそうな予感というのは、老齢になればなるほど衰えるらしいので、今のうちに味を噛み締めておく。美味すぎるんだよな。

近況報告

 このブログを書いていない間、たくさんのことが起こった。近況報告です、廉です。

大学入学、友達ができる、アカデミックキャンプの始まりとその終わり、英語の落単、wowakaの死。
 どれもこれも、人間として生きる上では大事なことだったし、どれもこれも大切にしなきゃいけない。大切なもんが増えたな、と単純に思います。
 自分の守らなければいけないもの、教育班(所属してた大学の論文書くサークル)で言うなら、自分が文明社会という中で生きていく上でその自分の自我の消滅を防ぐための防塞…まあ、もういいか。めっちゃくちゃいい思い出だったんです。wowakaの死に関しては、また別の媒体で触れます。

 

 アカデミックキャンプっていう、グループで論文を書くサークルに一ヶ月ちょっと参加して、今日その論文の発表、ついに解散の日でした。
 あんまりガラじゃないんだけど、俺はちょっとでも自分をわかってくれた存在にしがみついてしまう癖がある。簡単に言えば甘えん坊…?わからんけど。キツい。19になって甘えん坊とかいうワードを書くのがキツすぎる。
 その癖がグループが解散した今、過剰に発揮している。なんかさ、一ヶ月もずっと会ってると、その習慣が付いてしまって。ミーティングが無い日とか、ちょっとさみしくなるんだよね。あったらあったで「今日も終バスで帰るのか…」とか思っちゃうんだけど。
 家族みたいな存在になろうな、っていう言葉をあまりにもシャレに感じていなさすぎな自分がいる。嫌だね、こういうところなんだけどね。
 大切に思っちゃ、だめなのかなあ。いいのかなあ。わからないや。友達関係を「難しい」って言って今まで逃げてきたから、こういうときに困っちゃうんだろうな。
 最高の仲間だと思う。これ以上になりたい。そう思ったけど、それをつなぎとめる術を知りません。それを知らなくても、離れ離れにならないなら、それ以上に嬉しいことはないよ。

 アカキャンの次に何を勉強するかってのは、人によって異なります。別に勉強しないっていう選択肢もあります。いろんな団体に入って、いろんな経験をしたりとか面白いしね。それでも、僕は多分そうしないと思う。わからんけど。入って2個ぐらいなんじゃないかと。
 僕は研究することに決めました。テーマは決まってるけど、これって学問になるの????っていう単純な疑問がある。でも誰かしらが論じてるだろ!という謎の希望を持ってる。
 そのために転科…とかね。でも大切な友達が今いる学科に多いってなああああああああああああああ非常に悩ましい。
まあ、もうちょい考えてからこれは話すことにします。

 とりあえず打ち上げ楽しみです。おやすみなさい。

大分県在住になりましたのご報告

 この度、立命館アジア太平洋大学の国際経営学部に入学することになったので、別府市というところに引っ越しをした。

 東京とは違って、物価も物件の値段も安いので、すごく安い値段で、すごく速く住居を契約、居住できた。不動産の方には頭が上がらない。ありがとうございました。めっちゃ可愛かったです。

 大学は国際経営というガッチガチの学部なんだけど、やることは高校三年生と変わらず、本を読んで、書いて、ゲームして、勉強して、太って、という感じで。今日ガスが入ったので、やっと料理ができた。ペペロンチーノで自炊生活の幕を切った。

 大学の方には、こんなやつなんだな~っていうのをここのブログを読めばだいたい理解できると思うので、読んでくれたら非常に嬉しい。仲良くしようね。よろしく。

 普通にずっと会話を楽しんでいる方には、「うわあ、大学生なのにこいつ遊んでないなぁ」とか思いつつ、温かい目で見守ってくれると嬉しいです。

卒業する実感がふつふつとやっと湧いてきたのがこんな時間なのだから、今抱えている未練というのは形を成せない。悲しくも、そういうもんだよな。


三年間、すごくいい人たちに囲まれて恵まれていた。バンドとか、映研とか、今思い返せば思い返すほど、いい人だらけだった。優しかった。それに甘えていた部分もたくさんあるけど。


小説みたいな青春だね、と言われたことがある。

僕は青春という青春を送った自信なんかなかったのだけれど、側から見れば羨ましいものだったのかもしれない。僕は、側から見て、みんながすごく羨ましかったから。

運動部に入っときゃ良かったかなとか、小説にハマんなきゃよかったなとか、バンドちゃんとやりきるんだったなとか、三年生はもうちょい勉強するべきだったなとか(笑)。カッコいい人になりたかったんだよな~。


それでも、それは未練であって、後悔ではないよな、と少しずつ思えるようになった。たくさんの人に失望されたりしたけど、それ以上にみんなが優しかったな、優しかったからそう思えるんだな、と。

 


正直、後期試験は受かりません(笑)。だから、もう一年東京にいさせてください。暇なら、一緒に喋ろうね。あと一年、勉強しながら、また自分のこと、皆のことについて考えようと思います。

 


明日皆どんな表情なんだろう。想像がつかない、久しぶりに会う人ばっかだ(笑)学校行かなすぎた!

 


明日が楽しみです!おやすみなさい。

写真が好きな話、それ以上に撮る側が好きな話

一眼レフやフィルムカメラで撮られたであろう写真がこのうえなく好きで、インスタグラムによく上げている先輩や同輩の投稿は、くまなくチェックしている。

 


ありきたりなことを言ってしまうのが癪だけれど、同じ写真を二度と撮ることは相当困難だ。同じような太陽はなく、同じように風など吹かず、また写真家自体、昨日今日明日と同じ状態でいられるか、と問われれば答は否だろう。

 


タイトルにもある通り、僕は写真家自体がこよなく好きだ。

彼らはどんな世界で生きているのだろう、と考える事がある。きっと僕と一見変わらない世界で生きているのだろうが、彼らが生きる世界、つまりカメラを手にしている時の彼らの眼光が照らす世界というのは、本質的、実質的、物質的な観点を超えた、ある一瞬の世界なのだろう。

 


僕がこよなく好きな写真家2人、それは僕の高校の同輩と先輩であるのだが、彼らはまるで世界が違う。

1人、先輩の写真は、動的な世界が煌めくその一瞬を捉えていることが多い。蝶はただそこに留まっているのでなく、留まるべくしてそこに留まっていると思えるほどの絶妙な彩度がそこにある。まるで詩だ。小説の写真など、非常に心を打たれる。

一方、同輩の写真は、極めて静的だ。生き物さえ存在するが、その生き物はもともと静止していたのではないかと思わせるほどの写真。簡単に言えば、何処かで見た、懐かしい写真。建物、駅、喫茶店、そして友達。これは僕が過去を静的に振り返っている癖によって思い出される事なのかもしれないが、僕以外にもそんな人がいるだろう。

 


本人たちの写真を見て衝動的に書いて、ろくに見直しもせずに書いた文章なので、支離滅裂なのは申し訳ないが、彼らの写真は、本当にナニカを惹きつける。それだけは伝えたい。

 


僕は写真家の顔が見える写真(なんか野菜みたいに言うけど)が大好きだ。

どんなものに感激して、どこをとらえて、いつを狙ったのか、それだけ汲みとれる写真は、本当に見所があるなと思う。勿論、写真の種類、また映像などになるとその観点も変わってくるわけだが、僕の単純な好みとして、そういうのが好きなんだなと実感できた。

 


ぜひもう一回ぐらい喋ってみたいな、と思う。

これが本人たちに届いていたら幸いである。

僕も写真を撮りたくなった。他人をそう思わせるなんて、なんという才だろう。どんな著名な写真家よりも才が溢れている。

昨日のお返事が来て、僕は幸せを感じた

◇廉です。◇

 


昨日はブログに質問箱の回答を書く、という初めてのことをしました。読んでくれた方はありがとうございます。めっちゃ長いし、自分の拙い文章を上手くまとめられないまま出してしまったので、申し訳ないな、と思ってます。

夜更かししてるのはいつものことですが、なかなか昨日の夜は刺激的で面白かったです。真剣に考える、というのは、やっぱり人生の中でもあんまりしないわけで、しかもこの10代の終わりに、真剣に悩むってことがどれだけ価値があるんだろうなあ、とか考えながら文章を書いていました。

 


無事、質問主の方からお返事もいただき、非常に嬉しいです。彼、彼女なりの一応の回答を得たみたいで、その手助けができて本当に嬉しいです。

ただ一つだけ、心配になったので言わせてください。

努力はしても、しすぎることはないと言う人が居ます。半分正解で、半分間違ってると思ってください。矛盾するようなことを言いますが、逃げてもいいし、休んでも構いません。というか、絶対必要です。

ただ、「無理はしないこと」。これだけは守ってくださいね。自分のキャパシティというのも適性です。適性を無理に超えて無茶なことはしないで。

ご自愛ください。また話そうね~(チャラい)

(あと恩返しは求めないですけど、もらえるものはもらっときます笑)

 


ここからは後日談ですけど、まあ、想定外でした。僕に相談するって、なかなか相談相手を選ぶセンスがあるのか無いのか。(笑)

基本来るもの拒まずなので、相談、質問には真摯に答えますが、日頃の僕を知っている人は多分来ないです。来るのかな…?根暗なので、決まった人としか喋りませんし、本ばっか読んでますしね。

どんだけ本を読んでも、「幸せ」とか、愛やら恋やら、恨み辛みなんかは理解できないものですね。痛感します。まだ足りなくて、まだまだ読む必要がありそうです。まだまだ人と話す必要もありそうです。

 


そういや、質問箱に質問来てました。面倒なので、ここで答えます。

「好きな人ってどんな人ですか」っていうような質問だったと思います。ちなみにこの手の質問には8000回答えた自信があります。

それでも、気が狂ったように質問箱に取り組んでいた時の自分とは違う答えで、「いないので、分からない」という答えになります。

夏の時にはなんか「優しい人」やら「気が合う人」やらで逃れていたような気がしますが。笑

 


夏からもう半年が経ち、進路変更やらなんやらしたので、考えもたくさん変わって。

今まで楽しくて書いていた詩もやめて、東京から離れるようにして、多くの時間を自分のことに費やそうと思えるようになりました。そうすれば、いつか自分が他人とちゃんと関われるようになるだろう、という試算です。合ってるかどうかは知りませんが。

結論をまとめると、僕に色恋沙汰は似合わんし、向いてないし、誰かを愛する資格なんてないし、迷惑かけるだけだなというので、辞めました。

 


…なんか暗いね?自分らしくもないね?

 


という感じで、聞いている曲がリピートしきったので、今日はおしまい。

ちなみに聞いてる曲は、ポルカドットスティングレイの「本日未明」でした。

ある質問の回答

 ◇【最初に】◇

 質問主さん、こんなかたちで返答してしまって申し訳ないです。他に良い媒体が思いつきませんでした。あとめっちゃ読みにくいです。そんなこんなですが、ぜひ読んでください。

 質問ありがとうございました!

 

 ◇【こんにちは、質問ありがとうございます。廉です。】◇

 「幸せ」って何だ?というのは、僕が高校三年間でめちゃくちゃ悩まされたやつです。分かります。進路を考えるとき、「どうなったら、自分は一番幸せになれるんだろう?」と考えますよね。
 僕はそれを三年間かけて悩みました。もちろん、答えは出なかったので、また考え続けることになりますが。なので、この内容もまとまっていません。全部読んだら、「ああ、なんとなく分かる」程度のものです。答えは自分で見つけてください。

 その答えを見つけるまでのお手伝いは、この質問後でも尽力します。頼ってくださいね。新しいtwitterの匿名アカウントで俺にDM投げてきてもいいですよ。真摯に答えます。
 これを読んで、どう思ったか教えてください(もちろん強制はしません)。「幸せ」になりましょう。

 質問内容を出さないでくれ、ということなので、内容は出さずに、ただ僕の話を書きます。僕が一番得意の、自分語りです。どうぞ(このブログ史上一番長いです)。

 

 ◇【予防線の話】◇
 僕は、小説家になります。何年かかっても、なり抜きます。僕はそれが人生の中で稀に起こる幸せなのだと、現時点までずっと信じているからです。
 しかし、何十年も執筆しても、それでも商業出版できないという話はよくあります。

「自分がそうなったらどうしよう」「そうならなかったとしても、自分の小説がぜんぜん売れず、生活ができなくなったらどうしよう」という漠然の不安は、絶えず自分の中にあるんですね。
 だから、僕は進学校に行き、それなりに大学に行き、就職して、兼業作家として生きようという、一応のプランは立てています(そのプランが達成できるかは別として)。要するに、「最低限の幸せ」=「生活」に「予防線」を立てようとしているんです。まあ、夏に退学しようかマジで考えましたが。笑 
 (一応述べますが、僕は「進学校は属するものじゃなくて、利用していくもの」という考えです)

 僕は「予防線」という言葉がすごく好きです。安心させてくれる存在で、その線が切れない限りの範囲で、自分は何をしても大体は大丈夫。
 ずっとそれに縋っていたいという心持ちもありつつ、いつかそんな「予防線」を切らなきゃいけない日が、いつか誰の元にも降り掛かって来ることも理解しています。
 誰だって、その瞬間には覚悟を決めて、自分の後悔や残したものに無理に見ないようにして、この道でよかったんだと、自分を正当化するものです。それは悪いことではありません。
 その日は、人によって、大学進学であったり、就職であったりするのです。その先の道は、自分が行動する限り、自ずと見えてくると思います。
 そんなに怖がらないでください、大丈夫です。自分がより幸せでいられるために、バンバン「予防線」を切っていってください。僕もそうします。
 

 ◇【学歴の話】◇
 文面を読むと、相当心配なさってそうなので、あなたは一般的に「茨の道」と言われるような進路に向かうのかも。または、自分の当初進む予定だった道がもう閉ざされてかけていて、別の道に進まざるを得ない状況なのかも。もしくは(くどい)、自分の進みたい道がいわゆる「学歴」に結びつかない、というところかも。そうでもなく(くどい)、自分の進路が適性と離れているのかも。

 学歴について、まず言います。大丈夫です。なくても、幸せになれます。
 学歴と幸せって結びつくのか、と言われれば、答えは「どちらともいえない」でしょう。そりゃあ、結びつく方も多くいることでしょうが、そうでない方もたくさんいます。俺の父も母も、極めて優れている学歴を持ち合わせているわけではないですが、すごく幸せだと言っています。無いに越したことはないかもしれませんが(予防線を張りたければ)。あくまで、学歴は評価の一項目にすぎません。
 高学歴があっても上手く働けないという人も多いです。なぜなら、勉強の適性と就業の適性なんてまるっきり違うからです。自分の強みを上手く使えること、それが適性です。自分の適性ってなんだろう?と探るために、いろいろやってみましょう。もちろん、僕もやります。
 大学は学びたいことを学ぶ場所。その軸がブレなければ、自分がどんな大学に行っていたとしても、ちゃんと自分のプロセスを他人は評価してくれます。


◇【世間体の話】◇
 で、世間体の問題ですよね。
 僕は極めて空気を読めない人間なので、世間体のことをあまり気にしたことはないです。空気を読もうとすることも、必要もないので…(これを良いとは言えません)。
 例えば、仲間内で、自分だけ偏差値の高い大学に行けなかったとしましょう。僕の意見なので鵜呑みにしないでほしいのですが、それで蔑んできたり、嘲るような奴とあなたは関わる必要はありません。それまでの努力してきた過程(ここでなら勉強)を馬鹿にする奴のために、人生の限られた時間を割かないでほしいです。
 どうしても、その蔑みを無視できない状況下に身を置かなければならないのなら、その世界(コミュニティー)のみに自分を所属させないことです。その3倍、4倍の数の楽しくいられる状況に身を置くと良いと思います。家族、友達、ネット、なんでも良いです。世界は広いこと、それを忘れなければ、いくらでも生きていけます。ただ、その行動力(というか、仲良くなれそうな人に交流を求めるコミュ力)は、あると非常に良いと思います。あなたがもし高校生で(さらに北園生であるならば)、その点については大丈夫でしょう。
 「世間」を一つに絞らないでください。自分と他人を比較するのは良いことですが、自分を卑下する必要はありません。「世間体」を増やしていくと、自分を理解してくれる人が多くなるので、幸せになります。体験談です。
 気に入った世界に入り浸りましょう。それでいいんです。たくさん吟味した上で、その場所が気に入らないのなら、逃げちゃいましょう。


◇【まとまってないまとめ、質問の回答】◇
 一生懸命書いたら3時になってました。長くなってしまってすみません。読むのも、現文の練習だと思ってください。

 これは別に「第二の道でも幸せになれるよ!」という意味では書いていません。第一の道を逃せば、やっぱり辛いし、悔しいと思います。

 それでも、あなたが書いていたように、10年後に幸せになっているかどうかなんて、こんなところでは決まりません。10年なめんなって感じです。自分の年齢から10引いてください。めっかわの年になります。10足してください。婚期の心配してるかもしれないんですよ。
 なんでもかんでもポジティブに捉えるのは良いとは言えませんし、そこはなんとも言えないところですが、これだけは後悔せずにやってほしいです。
 未来に対して、自分の今「できること」と「やりたいこと」をすることです。
 「できること」は交友関係広くするとか、なんでも良いです。もちろん、高学歴獲得のために勉強する、でも全然いいです。未来に向けて今できることを懸命にやってみてください。
 「やりたいこと」は、今の自分がやりたいことをやりましょう。未来のことなんて、ここでは考えなくていいと思います。
 その双方が噛み合ったものは、相乗効果でめちゃくちゃはかどります。

 

 さて、話はだいぶ逸れましたが。
 おっしゃるとおり、幸せって、考えれば考えるほど難しいです。でも、幸せを感じるっていう行為自体はすごく単純ですよね。好きな人、物、場所があるだけで、幸せになる。
 幸せになるって、そういうことなんだと僕は思います。
 自分が今好きな人、物、場所をただただ追っかける、それが幸せである、と。そのためにいつか覚悟を決めなければいけない瞬間があり、その瞬間のために少しずつ準備していたものは功を奏します。
 今やっていることは自分が幸せになるための過程なのだと、確信を持ってくれるといいなと思います。不安というのも、それで取り除けるものだと思います。

 あと少しですが、身体が障らないように、ご自愛下さいね。

 

 言いたいことがまとまりませんでした。ごめんなさい。
 お返事待ってます(できれば、マジでできれば、無理はしないでください)。自分の「幸せ」が多分あなたとは違う考えだと思うので。